いつまで続くの

前回の記事、胎嚢確認から2ヶ月以上経過した。

長い長い2ヶ月だった。

更新から遠ざかっていた理由は他ならず、つわりが始まったから。

うちの母は3人子供を産んだが、3回ともつわりはなかったと聞いていたので、

それに甘んじていた。

 

当初は「あれ、なんかムカムカする。もしかしてこれがつ・わ・り?(ワクワク)」

なんて浮かれポンチな感想を抱いていたけど、すぐにそれが悪魔だとわかった。

最初は夕方から始まり、夜は廃人と化した。

とにかく気持ち悪い。

ちょっとお腹がすくと、もう気持ち悪い。

そのくせ食べても気持ち悪い。

そして食べ過ぎると、出てきやがる。

それでも眠れるし、起きれるし、なんとか出勤していた。

そのうち、一日中奴は居座るようになってきた。

何をどうしても気持ち悪い。

持ち前の貧血も相まって、地獄そのもの。

そのうち夜も眠れなくなって、朝にようやく寝付く。

起きると頭痛に悩まされる。

 

6月の出勤状況はもはやガタガタ、スカスカ。

精神的にもやられ(4月に異動してきた部署なので、環境に慣れていないのもあり)、人間として、大人として為すべきこと(家事と仕事)を放棄。

毎日、しかっりと働いている坊ちゃんに申し訳ないわ、

入院も通院も必要ないのに仕事を休んでる自分がふがいないわ、

肉体的にも精神的にも追い込まれる毎日。

横たわる主人のそばには、いつもぽのまる(猫)がいてくれて、

目の届くところで1人遊びしてて、その姿が健気で泣けた。

 

つわりで悶え苦しむ1日は長いのに、私以外の時間は早く過ぎていたようで、

7月は丸々仕事を休んだ。

今までためにためてきた保存休暇があるから、無給ではなかったが、

職場の方々にご迷惑をかけていることは間違いない。

合わせる顔がない。

明日こそ出勤しようと思うが、それができない。

この年で登校拒否の気持ちがわかった。 

胎嚢確認

陽性判定を受けてからというもの、体調にはさほど変化は見られず。

たまにやってくる下腹部のチクチクに安堵する日々。

確かに胸は張って痛いけれど、それくらいかも。

そんな中迎えた、胎嚢確認日。

 

BT20 5月20日(金)

〈体温〉36.77

〈歩数〉8,522歩

〈メモ〉念のためのフライング(ドゥーテスト)は、くっきり陽性。

 

午後半休でも間に追う時間帯だったが、今週は日曜出勤も控えていたので、

全休を取った。

1週間の疲れもあり、お昼まで爆睡。

こうなると起きた時に膀胱がパンパンで、出した後もしばらく痛い。

 

徒歩でクリニックに向かう。

平日なので空いている。

予約時間より早かったが、順番が来た。

まったりトイレタイムを気取っていたので、焦った。

どきどきのエコー。

すぐに先生がモニターを見るように促した。

くっきり、胎嚢が見えた。

中に白い丸。

丸は赤ちゃんではなく、赤ちゃんの栄養とのこと。

大きさは、11.9mm。

大きくもなく、小さくもないらしい。

とりあえず「順調です」のお言葉をいただく。

「このままいけば、来週か、再来週には卒後ですね」とのこと。

前回のこともあるので、慎重に進んでいきたい。

〈胚盤胞移植2回目〉判定日

BT13 5月13日(金)

〈体温〉36.79

〈歩数〉11,928歩

〈メモ〉判定日。体温が下がったのが気になるところ。

    フライング(クリアブルー)は、くっきり陽性。

 

午後半休でクリニックへ。

受付してすぐ採血。

外は日差しが強く、暑かったので、クリニック内で結果を待つことに。

平日なので、空いている。

心地よいクラシックのBGMで爆睡してしまい、診察に呼ばれても、

ちょっと寝ぼけていた。

 

結果は、陽性。

すでにフライングを嵐のように決行していたので、

ポケーッと聞いてしまった。

HCGは1002mIU/m1。

今日は4w4dにあたるとのこと。

 

前回より数値が低いのは、判定日が1日早かったからだと思うけど、

数値が高くても流産してしまった過去があるから、まだ安心はできない。

前回は院長の診察で、検査結果報告書には出産予定日も記載されていたけど、

今回は別の先生だったので、その説明はなかった。

自分で計算してみると、来年の1月16日頃。

父の誕生日(18日)とかぶりそうで嬉しい。

 

この時点では、先生も看護師さんも「おめでとうございます」とは言ってくれない。

そうですね、前回のこともありますからね。

 

来週の胎嚢確認、再来週の心拍確認と、まだまだ油断はできないけれど、

ゆっくり焦らず、気持ちと体調を整えて過ごしていきたい。

(前回はちょうど繁多期で気持ちに余裕がなかった)

 

陽性判定のお祝いに、坊ちゃんと美味しいソーセージ屋さんに行った。

食べ過ぎて、胃が痛い。

調子に乗りすぎた。

 

 

 

 

 

判定日までの記録

あっという間…ではなく、永遠と思えるくらい長かったこの2週間。

1回目の移植の記事で「ET」と表示していたけど、

胚盤胞移植の場合は「BT」が正しいと最近知った。恥ずかしっ!

判定日までの記録は下記の通り。

 

BT1 5月1日(日)

〈体温〉36.76

〈歩数〉9,140歩

〈メモ〉体調変化なし。六本木で「キャプテンアメリカ」を鑑賞。

 

BT2 5月2日(月)

〈体温〉36.80

〈歩数〉8,897歩

〈メモ〉下腹部にチクチク痛あり。出勤日。明日からは6連休!

 

BT3 5月3日(火)

〈体温〉36.81

〈歩数〉9,455歩

〈メモ〉たまにチクチク痛。銀座までお散歩。

 

BT4 5月4日(水)

〈体温〉36.81

〈歩数〉7,072歩

〈メモ〉症状は特になし。恵比寿で「最高の花婿」を鑑賞。最高に面白かった。

 

BT5 5月5日(木)

〈体温〉36.81

〈歩数〉7,960歩

〈メモ〉症状は特になし。目黒で美登里寿司を食べた。

    坊ちゃんに内緒で超フライング(クリアブルー)。極薄の線あり。

    この日以降、フライング祭り開催。

 

BT6 5月6日(金)

〈体温〉36.81

〈歩数〉7,030歩

〈メモ〉症状は特になし。坊ちゃんは出勤日だが、引き続きGWの私は、

    六本木で「ズートピア」を鑑賞。

    フライング(クリアブルー)は、陽性。ただし、昨日より薄い。

 

BT7 5月7日(土)

〈体温〉36.87

〈歩数〉10,644歩

〈メモ〉チクチク痛に加え、軽い胃痛。快便だけど、軟便。1日に3回くらい出る。

    ミッドタウンまでお買い物。

    フライング(チェックワン)決行。陽性。やっぱり、まだ薄い。

 

BT8 5月8日(日)

〈体温〉36.81

〈歩数〉10,301歩

〈メモ〉妊娠初期症状があまりにもないので、不安になる。

    夕方、鍼灸院へ。爆睡。

 

BT9 5月9日(月)

〈体温〉36.87

〈歩数〉7,647歩

〈メモ〉今日から通常勤務。通勤途中でお腹が痛くなり、途中下車。

    家でも出したのに、どんだけ出るんだ。

    定時過ぎに上司から仕事依頼。焦りと怒りといろいろな感情が沸騰。

 

BT10 5月10日(火)

〈体温〉36.88

〈歩数〉8,408歩

〈メモ〉フライング(チェックワン)決行。やっぱりまだ、薄い。

    この時点でBT5・6の検査薬は真っ白状態に戻っていた。

    クリアブルーだからかな?

 

BT11 5月11日(水)

〈体温〉36.83

〈歩数〉8,585歩

〈メモ〉ズキーンと感じる痛み。胸の張りも出てきたみたい。

    フライング結果(ドゥーテスト)も、濃くなってきた。

 

BT12 5月12日(木)

〈体温〉36.90

〈歩数〉13,406歩

〈メモ〉4月に移動してきた部署にはまだ馴染まない。

    このストレスもお腹には良くなさそう。

    フライング(ドゥーテスト)結果は、濃い陽性。

 

判定日までの2週間は、前半がGWでゆっくり出来たので、

精神的・体力的にも良かったのかも。

 

2回目に挑む

前回の更新から2ヶ月以上空いてしまった。

この度、新年度の異動ドタバタを経て、二周期空けての2回目の胚盤胞移植を決行。

今回の移植まで、準備は万端(だと思う)。

週一のよもぎ蒸しと鍼灸

そして、毎日のウォーキング。

迎えた4月30日(土)。

計画的にお小水を溜め、順番を待つ。

ひたすら、待つ。

じっと、待つ。

けなげに、待つ。

いや、もう、待てない。

受付の方に膀胱の限界を告げると、

「今日は連休前の最後の診察日で、とても混み合っているので、あと1時間はかかります。一度トイレを済ませ、お水を沢山飲んでください」

とのこと。

聞いてよかったー。

ということで、スッキリ。

そして、持参したハーブティーをひたすら飲む。

そして、人目のつかないところでスクワット(血流を良くするため)。

すぐに先生の説明へ。

4AAの胚盤胞をアシストハッチングをしたら、5AAになったとのこと。

とても良い状態だそうだけど、前回と同じなのよね…。

個室に案内されたけど、ここからがまた長かった。

ひたすら飲んで、音をたてないようにスクワット。

努力が実り、お小水も溜まり、体も温まった。

今回の移植も、あっという間。

培養士さんの「OKでーす」の声に安堵し、30分の安静。

眠るに眠れず、伊坂幸太郎の「残り全部バケーション」を読んだ。

お会計後は、前回と同じカフェでお昼を食べ、氷川神社にお参り。

看板ねこちゃんに会えず、残念。

その後、鍼灸院へ。

とにかく眠くて、意識を刈られるくらい眠くて、ずっと爆睡。

下腹部にズキーンとした痛みがあったから、これが着床痛ではなかろうか(早すぎるかな)。

あとはもう、祈るのみ。






整理などつかぬ

完全流産の出血も止まり、体調はどうかというと、いつもより調子が良いという皮肉。

体調は万全だけど、精神がそれに追いつかない。

 

妊娠判定日から流産した今の今まで仕事がめちゃくちゃ忙しくて、

心も体も休める暇なく、

でもその分泣いてる暇もなかったので、

なんか心はからっぽのまま毎日が過ぎていた。

 

流産の報告も兼ねて2週間ぶりに鍼灸に行ったら、

院長先生が私以上に悲しんで、ねぎらってくださった。

その日から、涙が止まらなくなった。

どうしてもっと大事にしてあげられなかったんだろう。

奇跡の子だったかもしれないのに。

妊娠がわかってから、当たり前のように赤ちゃんが生まれるって過信していた。

 

気持ちの整理を付けるためにも2日間お休みをいただいたけど、

考えるのは赤ちゃんのことばかり。

職場では母のように慕っている上司にだけ、このことを告げた。

 

 

 

 

 

来てくれて、ありがとう

前回までの浮かれ気分とは一転、今回は超重たい話題。

 

サクッと言いますと、判定日に妊娠判定をいただきました。

HCGの数値も1242mIU/m1で、クリニックの先生や鍼灸の先生曰はく、

「理想的な数値だね」とのこと。

 

先生が教えてくれた出産予定日は、2016年9月26日。

私の誕生日の翌日。

もしかしたら、同じ誕生日になるかも知れないね、なんて夢見たけど、

5w3dで本当の夢と化す。

 

仕事中に突然の出血。そして腹痛。眩暈。

すぐに早退してクリニック受診。

超音波診察中も出血が止まらない。

怖くてぎゅっと目を閉じていたら、「でも胎嚢ありますねー」の声。

なんと不安をよそに胎嚢が確認でき、出血の不安なんてふっとんだ。

止血剤と流産防止のお薬を処方されたけど、先生の話し方から「気休めだけど」って

感じが読めた。

診察が終わったら、うそのように出血も腹痛も治まり、胎嚢が映った超音波写真をもらってルンルンで帰る。

本当はこのまま数日家で安静にしていたら、結果は違ってきたのかも知れない。

 

職場では来週に大イベントを控えているので、次の日も朝からバタバタと仕事をこなす。

お昼ご飯なんて食べている暇ない。

で、3時ころ。また出血。腹痛。眩暈。

昨日より酷いかもしれない。

また早退し、命からがら家までたどり着き、眠る。

2時間後トイレに立ったら、ナプキンに1cmほどの赤い塊が。

直感的に胎嚢だと思って、ペーパーに包んだ。

不安になって、妊娠検査薬を試したらくっきり陽性。

この結果に安心して、その日はクリニックに行かず。

 

次に日は朝から快調。

出血も少なく、仕事もはかどる。

 

土曜日。クリニック受診。

先日と同じクール(不愛想)な女医さん。

「先日見えた胎嚢が見えないから、出血と一緒に流れちゃったね」

あっさり。

「お薬を飲んで、全部内容物を出しちゃいましょう。

お薬を飲むとお腹が痛くなるから、不安だったら1週間様子を見ましょうか。

ホルモン補充のシールも膣坐薬も今日からやめてください。」

この結果を一緒に来ていた坊っちゃんに伝えに行ったら、コートに顔を隠して、

神頼みしている最中だったので、泣けてきた。

その日は、どこにも行かず、家に帰った。

2人も冷静だった。

また頑張ろうと誓い合った。

 

シールと膣坐薬をやめたら、待ってましたかのごとく、出血が始まった。

それでも胸のハリはまだあるし、高温だし、検査薬も陽性を示してたので、

「大量出血しても妊娠継続」

のキーワード検索魔と化し、内容を読んで一喜一憂。

でも「1週間後の診察のときには、ひょっこり心拍が確認できるんじゃ」

なんて期待を抱いていた。

 

ついに大イベントが始まる。5時に起きて、長距離移動。

緊張感もストレスも半端ない。

そんなとき大量出血と共に、赤と白とレバーのような塊がドロっと出た。

子宮から排出される大きさではない、10cm以上あったかも。

これはもう、無理かもと思った。

 

その次の日からは体温がガクッと下がって、胸のハリもなくなった。

検査薬は恐くて試せなかった。

 

その次の日も、大きな塊が出た。

真っ黒で丸いゼリー状のもの。

とめどなく流れる出血に恐怖を感じた。

でも仕事は休めない。

あと2日もある。

 

妊娠判定から胎嚢確認までの5日間。

人生の中で一番わくわくが止まらなかった期間だった。

またあの子に戻ってきてほしい。

みんなを幸せにしてほしい。