再判定日

BT20。

やってきました再判定日。

 

半ば諦めの気持ちで採血。

待ち時間はクリニック内で爆睡。

 

ちょっと早めに順番が来たなぁと思ったら、呼ばれた場所は内診室。

はてな?と思いながらも、診察台に乗る。

やって来たのはお久しぶりの院長先生。

エコーも一瞬にして終わり、一瞬にして院長室に呼ばれる。

 

「hcgの数値は前回よりも伸びてますね。低いけど。」

「胎嚢っぽいものも見えたけど、まだわからないね。また来週見てみましょ」

 

ということで、来週再々判定です。

どんなメンタルでこの1週間過ごせばいいのよ。

 

判定日

判定日当日。

実は前夜にフライングをして陽性反応が出ていたので、心に余裕があった。

 

が、採血して1時間後。

診察室で渡された結果を見て目を疑った。

 

hcg118?低っ!

 

「まぁこの時期、判定日1日の違いで低くでることもありますからね。また来週、再判定しましょう。」と先生はおっしゃっていたが、BT14でこの数値は低すぎでしょう。

 

 

とりあえず、再判定日までは望みを捨てず、安静に安穏に過ごそう。

移植後の生活

移植の次の日から、なんら変わらない生活を送っている。

 

BT0~BT7までは症状はまったくなし。基礎体温も低い。

 

BT8あたりから「ん?胸が張ってきた?」「足の付け根がチクチクしてる?」「お腹に違和感が?」と、すべて疑問形が付くくらいのちょっとした変化が出てくる。

 

BT10には、お腹の張りが気になってきて、動作がゆっくりになる。

でも、4歳の暴れん坊たちの相手をしているとそんなことは言ってもいられず。

ごっこで4人を追いかけて鬼ダッシュする。

 

娘が1歳から仲良しのお友達ファミリーは5組いて、親も全力で子供と一緒に遊ぶのが楽しいし、ありがたい。

 

そんなこんなで判定日は明日、14日(月)。

その前にフライングしようかしら。

移植日の記録

5月31日、移植日。

 

移植前日と移植当日に鍼灸院へ駆け込み。

こちらも5年ぶり。

 

院長先生は変わらず優しい。

(でも施術費は値上げされてた)

施術中は、あまりの気持ちよさに爆睡。

 

今回移植する胚は、4BBと3ABのふたつ。

グレードについて、先生の口から悪い印象は聞こえてこなかった。

 

移植の1時間前からお小水を貯めておかなければならないが、人より膀胱のスケールが小さい私(たぶん)は、30分前にトイレに行き、そこからひたすら温かいお茶を飲む戦法。

そして、自分の番が来るまでスクワット!

とにかく、ゲン担ぎとして、第1子を授かったときと同じことをして順番を待った。

 

そうこうして迎えた移植。

先生も看護師さんも培養士さんもとにかく優しい。

そして事細かに説明してくださる。

痛みもなく、順調に終わった。

 

30分の安静タイムは、まったりYouTubeを見て過ごす。

Sexy Zoneの「セクチャン」面白い。

 

その後の看護師さんのお話の中で「自転車乗っても全然大丈夫!」と伺い、片道40分の自転車通勤(平坦路を超安全運転)を継続することに決めた。

(自転車以外の通勤方法は、バス(15分)→待ち(5分)→バス(20分)→徒歩(15分)で、まあまあめんどい)

 

5年前の移植の時は、「とにかく安静に!自転車なんてもってのほか!」と言われていたので、時代と共に科学的根拠が証明されていくんだなぁと思った。

第2子に向けて

第2子妊活の記録をここに記す。

 

第1子のやんちゃ坊主(女の子・4歳)もお陰様ですくすく元気に育っている。

昨日もお友達と公園で遊び、転んで顎を強打していた。

生傷の絶えない毎日。

 

ママ友もここ数年で第2子を授かり、お友達はお姉ちゃん、お兄ちゃんの顔になっている。

私は今年で40歳。

第2子を考えるなら、早く行動に移さねば。

 

と、前回の不妊治療から5年。

久しぶりに訪れたクリニック。

 

コロナ対策かとても空いている。

予約も取りやすい。

診察も予約時間ピッタリに呼ばれる。

 

さくさくと移植の流れになり、途中にとりあえずな感じで「子宮鏡検査」をすることに。

 

「とにかく痛かった」という記憶だけで、ビクビクドキドキ、あからさまに挙動不審な態度を取っていたら、看護師さんに心配された。

 

検査の結果は異状なしとのことで、予定通り移植することに。

 

残っている胚は3つ。

年齢も加味して、今回は2つを戻すことにした。

 

移植日は5月31日。

もうすぐ4歳

前回の記事が3年前。

そして娘も3歳になりました。

 

もうすぐ保育園での初めての遠足。

私にとっても人生で初めてのお弁当作りになる。

お弁当箱グッツは全部そろっている。

あとは私が料理に腕を揮うだけ(それが問題だ)。

陣痛から分娩、退院まで

出産前から先輩ママたちから話はいろいろと聞いていたが、みんな軒並みのスーパー安産経験者だったため、陣痛に関しての予備知識が少なかったと思う。

実際経験した陣痛は、とんでもない。

間違いなく、生きてきた中で一番痛い。

受け堪える姿勢によっては、痛みがお腹に来たり、腰に来たり、両方に来たりと変化する。

お腹に来る痛みは、生理痛と下痢の痛みのマックス。その、さらに上。

腰に来る痛みは、万力で腰を締められた上、ハンマーで殴られてる感じ。

両方に来る痛みは、まさに地獄。

その陣痛のさらに上を行くのが、いきみ逃し。

いきみたいのに、いきんじゃダメだなんて、殺生な。

もうナースコールを連打するしかない。

もう我慢できなくていきんじゃってたけど「それでいいの、上手上手」なんて言われ、なにがなんだかわからなくなる。

おしっこを頻繁にするように促されるが、おしっこをすると腰の痛みでトイレから立てなくなり、毎回トイレから救出される。

ようやく子宮口も全開になり、いきみ許可が出るも、ついさっきまであった怒涛の陣痛が不思議となくなる。

曖昧な痛みと共に、思いっきりいきむ。

まったく痛くないので、いたって冷静でいられる。

むしろ、ちょっと眠い。

何度かいきんだところで、頭が出てきて、それからはあっという間。

股に温かい感触があり、元気な泣き声と共に、赤ちゃんが誕生。

すぐにカンガルーケアでお腹の上に。

想像以上に大きい。お顔は4Dエコーで見ていたまんま。

可愛い声で元気に泣く。

感動に浸りたいけど、後産あり、会陰切開の縫合ありで、その痛みで現実に戻される。

この日は出産ラッシュで、ゆっくりする間もなく部屋の移動。

入院中は、個室を選択。

入院費は高く付くけど、個室にして本当に良かったと思う。

なんせ、会陰切開の傷が痛くて、寝返りすら出来ない。

そんな中、投入される赤子(母子同室)。

瀕死状態の母親に今後のヘビースケジュールを説明する助産師さんが鬼に見える。

まさに育児は休みなし。

赤ちゃんの世話はもとより、自分の体の世話すら出来ない。

便秘になるし、悪露で貧血、そして寝不足。

もとの体に本当に戻るのか、不安でしょうがない。

そんな中、赤ちゃんの黄疸の数値が悪く、GCUに入院。

不安で泣く。一人は寂しい。

2日後に無事戻って来たけど、それはそれで大慌て。

GCUで哺乳瓶に慣れたのか、直母を飲まない。

退院まで続く直母練習。

この直母問題が退院後も頭を悩ませることになる。

退院前日、切開部分の抜糸をしたら、嘘のように痛みがなくなる。

それにより排便も可能に(これが嬉しかった)。

こうやって怒涛の入院生活が過ぎていく。