判定日
判定日当日。
実は前夜にフライングをして陽性反応が出ていたので、心に余裕があった。
が、採血して1時間後。
診察室で渡された結果を見て目を疑った。
hcg118?低っ!
「まぁこの時期、判定日1日の違いで低くでることもありますからね。また来週、再判定しましょう。」と先生はおっしゃっていたが、BT14でこの数値は低すぎでしょう。
とりあえず、再判定日までは望みを捨てず、安静に安穏に過ごそう。
移植日の記録
5月31日、移植日。
移植前日と移植当日に鍼灸院へ駆け込み。
こちらも5年ぶり。
院長先生は変わらず優しい。
(でも施術費は値上げされてた)
施術中は、あまりの気持ちよさに爆睡。
今回移植する胚は、4BBと3ABのふたつ。
グレードについて、先生の口から悪い印象は聞こえてこなかった。
移植の1時間前からお小水を貯めておかなければならないが、人より膀胱のスケールが小さい私(たぶん)は、30分前にトイレに行き、そこからひたすら温かいお茶を飲む戦法。
そして、自分の番が来るまでスクワット!
とにかく、ゲン担ぎとして、第1子を授かったときと同じことをして順番を待った。
そうこうして迎えた移植。
先生も看護師さんも培養士さんもとにかく優しい。
そして事細かに説明してくださる。
痛みもなく、順調に終わった。
30分の安静タイムは、まったりYouTubeを見て過ごす。
Sexy Zoneの「セクチャン」面白い。
その後の看護師さんのお話の中で「自転車乗っても全然大丈夫!」と伺い、片道40分の自転車通勤(平坦路を超安全運転)を継続することに決めた。
(自転車以外の通勤方法は、バス(15分)→待ち(5分)→バス(20分)→徒歩(15分)で、まあまあめんどい)
5年前の移植の時は、「とにかく安静に!自転車なんてもってのほか!」と言われていたので、時代と共に科学的根拠が証明されていくんだなぁと思った。
第2子に向けて
第2子妊活の記録をここに記す。
第1子のやんちゃ坊主(女の子・4歳)もお陰様ですくすく元気に育っている。
昨日もお友達と公園で遊び、転んで顎を強打していた。
生傷の絶えない毎日。
ママ友もここ数年で第2子を授かり、お友達はお姉ちゃん、お兄ちゃんの顔になっている。
私は今年で40歳。
第2子を考えるなら、早く行動に移さねば。
と、前回の不妊治療から5年。
久しぶりに訪れたクリニック。
コロナ対策かとても空いている。
予約も取りやすい。
診察も予約時間ピッタリに呼ばれる。
さくさくと移植の流れになり、途中にとりあえずな感じで「子宮鏡検査」をすることに。
「とにかく痛かった」という記憶だけで、ビクビクドキドキ、あからさまに挙動不審な態度を取っていたら、看護師さんに心配された。
検査の結果は異状なしとのことで、予定通り移植することに。
残っている胚は3つ。
年齢も加味して、今回は2つを戻すことにした。
移植日は5月31日。
もうすぐ4歳
前回の記事が3年前。
そして娘も3歳になりました。
もうすぐ保育園での初めての遠足。
私にとっても人生で初めてのお弁当作りになる。
お弁当箱グッツは全部そろっている。
あとは私が料理に腕を揮うだけ(それが問題だ)。
陣痛から分娩、退院まで
出産前から先輩ママたちから話はいろいろと聞いていたが、みんな軒並みのスーパー安産経験者だったため、陣痛に関しての予備知識が少なかったと思う。
実際経験した陣痛は、とんでもない。
間違いなく、生きてきた中で一番痛い。
受け堪える姿勢によっては、痛みがお腹に来たり、腰に来たり、両方に来たりと変化する。
お腹に来る痛みは、生理痛と下痢の痛みのマックス。その、さらに上。
腰に来る痛みは、万力で腰を締められた上、ハンマーで殴られてる感じ。
両方に来る痛みは、まさに地獄。
その陣痛のさらに上を行くのが、いきみ逃し。
いきみたいのに、いきんじゃダメだなんて、殺生な。
もうナースコールを連打するしかない。
もう我慢できなくていきんじゃってたけど「それでいいの、上手上手」なんて言われ、なにがなんだかわからなくなる。
おしっこを頻繁にするように促されるが、おしっこをすると腰の痛みでトイレから立てなくなり、毎回トイレから救出される。
ようやく子宮口も全開になり、いきみ許可が出るも、ついさっきまであった怒涛の陣痛が不思議となくなる。
曖昧な痛みと共に、思いっきりいきむ。
まったく痛くないので、いたって冷静でいられる。
むしろ、ちょっと眠い。
何度かいきんだところで、頭が出てきて、それからはあっという間。
股に温かい感触があり、元気な泣き声と共に、赤ちゃんが誕生。
すぐにカンガルーケアでお腹の上に。
想像以上に大きい。お顔は4Dエコーで見ていたまんま。
可愛い声で元気に泣く。
感動に浸りたいけど、後産あり、会陰切開の縫合ありで、その痛みで現実に戻される。
この日は出産ラッシュで、ゆっくりする間もなく部屋の移動。
入院中は、個室を選択。
入院費は高く付くけど、個室にして本当に良かったと思う。
なんせ、会陰切開の傷が痛くて、寝返りすら出来ない。
そんな中、投入される赤子(母子同室)。
瀕死状態の母親に今後のヘビースケジュールを説明する助産師さんが鬼に見える。
まさに育児は休みなし。
赤ちゃんの世話はもとより、自分の体の世話すら出来ない。
便秘になるし、悪露で貧血、そして寝不足。
もとの体に本当に戻るのか、不安でしょうがない。
そんな中、赤ちゃんの黄疸の数値が悪く、GCUに入院。
不安で泣く。一人は寂しい。
2日後に無事戻って来たけど、それはそれで大慌て。
GCUで哺乳瓶に慣れたのか、直母を飲まない。
退院まで続く直母練習。
この直母問題が退院後も頭を悩ませることになる。
退院前日、切開部分の抜糸をしたら、嘘のように痛みがなくなる。
それにより排便も可能に(これが嬉しかった)。
こうやって怒涛の入院生活が過ぎていく。