判定日

本日は判定日。

受付をしたら、即座に採血に呼ばれた。

採血後は1時間、クリニックで時間をつぶす。

涼しい室内は天国。

WiFiもあるので、ずっとスマホでサッカーの試合を見ていた。

 

最近、なぜか今になって元日本代表の福西崇史さんが気になり、黄金期と呼ばれていた頃のジュビロの試合ばかりYouTubeで見ている。

いつでも飄々とした表情なのが素敵だ。

さらに45歳になった現在も素敵だ。

 

なんてしているうちに、診察室に呼ばれ、先生の第一声が、

「いい数値が出ていますね。陽性です。」とのこと。

hcgは「2,149」。

確かに高いけど、前回に比べれば低い(10,000)。

ただ娘を出産したときよりは高い(1,002)。

 

いままでもhcgの数値に振り回されてきたので、胎嚢確認、心拍確認までは何も考えずにいこう。

 

現在の体調(BT14、15)

・常にお腹に違和感がある

・自転車通勤が疲れてきた

・食欲旺盛

・快便

・運動をするとお腹が張る

・睡眠中の方がお腹の違和感を強く感じる(痛くはない)

・熟睡はしていない

暑いから、考えすぎはやめにしよう。

前回の記事が12月。

そして現在は7月。

半年以上も経過してしまった。

 

ざっとまとめると、2回目の採卵後に、5個が胚盤胞まで育ち、3月にそのうち2個を移植しました。

判定日で高すぎるほどのHCGで陽性判定を受け、その日のうちに胎嚢確認、翌週に心拍確認、さらに翌週の診察でクリニック卒業となるはずが、先週あったはずの心拍が確認できず、稽留流産となりました。

 

今回は胎嚢が2つ見られ、流れる際に大量出血と激痛が伴うかもしれないとのことで、吸引手術をすることに。

 

とにかくこの頃はつわりがひどく、流産になったショックよりも、早くこのつわりから解放されたいという思いの方が強かったかも。

 

手術は粛々と進められ…と思ったら、術中に覚醒して、朧気ながら激痛を味わうはめに。

次の方の処置の時に、安静室まで「いたいー!」という叫び声が聞こえたから、私もきっと叫んでたんだろうな。

 

これが4月の頭の出来事。

その後は体調も抜群によく、娘と竹芝までサイクリングして、船に乗ってお台場に行ったり、「ディノサファリ」を見に行ったり、「ディズニーオンアイス」を見に行ったり、国立競技場にサッカーを見に行ったり。

とにかくアクティブに楽しんだ。

 

3ケ月お休みして、保険が使える7月に再度の移植。

保険制度の恩恵はすばらしく、毎回のお支払いも「これだけですか?」と聞き返したくなるほど安い。

 

今回も2個移植。

順番直前までスクワットや股関節ストレッチを施し、いざ移植。

 

それからの2週間はいつも通り生活する。

片道45分かけて自転車通勤をし、夜は竹脇まりなさんのYouTubeを見て運動をする。

 

BT7くらいからお腹が張る感覚があったり、風邪のような症状が出てくる。

BT9にフライング。反応はあるけど薄い。

BT11にフライング。前回より濃くはなったが、まだまだ薄い。

BT13、灼熱の炎天下の下で作業し、もうフラフラ。

そして明日、BT14が判定日。

 

フライングの線の薄さで、蘇る過去の記憶。

「数値は出てるけど低いですね。また1週間様子をみましょう」

「数値が伸びていないので、残念ながら今回は化学流産でしょう」

「今日から薬をやめて、1週間以内に出血がないようでしたら、手術しましょうか」

 

今までこの台詞を何回聞いたでしょうか。

 

 

 

中間報告

採卵2日後に中間報告が届きました。

 

採卵時 (D0) に成熟卵と判定された卵子の個数は6個です。

採卵の翌日、受精確認時 (D1) に受精したと判定された受精卵は6個です。

受精確認の翌日 (D2)、分割が確認された受精卵(胚)は6個です。

:4細胞×3個、5細胞×2個、6細胞×1個

 

良いのか、悪いのか、わかりません。

 

ちなみに6年前の結果はこちら。               

 

採卵時 (D0) に成熟卵と判定された卵子の個数は10個です。

採卵の翌日、受精確認時 (D1) に受精したと判定された受精卵は8個です。

受精確認の翌日 (D2)、分割が確認された受精卵(胚)は8個です。

:5細胞×2個、4細胞×6個

 

胚盤胞まで育ったのは、8個のうち6個。

グレードは以下の通り。

4AA 2個

4AB 1個

4BB 2個

3BB 1個

 

この中で着床したのは3個(4AA2個、4AB1個)、うち出産まで至ったのは1個(4AA)。

これが35歳で凍結した受精卵の結果です。

 

今は40歳。

40歳の卵様たちは頑張って胚盤胞まで育ってくれるかしら。

2回目、6年ぶりの採卵

さてさて、あっという間に採卵周期です。

2回目の採卵になかなか決心がつかず、2回人工授精を挟んだけれど、そう安々とできるわけありません。

 

採卵2回目ではあるけれど、1回目はなんせ6年前。

ほとんど手順を忘れております。

お休みを取って自己注射指導。

こんなに緊張するものでしたっけ?

前回は落ち着いてできた自己注射も練習の時点であたふた。

案の定、初日で生食の瓶をこぼし、予備に手を出してしまいました。

 

毎朝の注射とお薬。

そして頻繁にある採血とエコー。

せめて採血は17時まで可能にしておくれー。

(採血の度に午後半休を取っていた)

 

そんなこんなで採卵当日。

昨夜からの絶食でフラフラ。

看護師さんに点滴を入れていただいている最中にお腹がグーグー鳴って笑われました。

順番が来て、診察台に乗り、看護師さんの「はい、眠くなりますよー」の声で意識を失い、「終わりましたよー」の声で起きる。

全身麻酔はこれで人生3回目だけど、ブワーッと体が熱くなる瞬間がいつも不思議。

絶対に寝ている間になにかしら口走っていたと思い、看護師さんに問うたけれど「んーなにかモゴモゴは言ってましたけど、大丈夫ですよ」とのこと。

これだけは、はっきりわかる。嘘だ。優しい嘘だ。

でも忘れよう。恥ずかしいけれど、過ぎたことだ。

 

ベットに戻ってすぐに旦那さんにLINEをしたが、文章になっていなかった。

もう眠い。ひたすら寝る。

1時間後にお許しが出て、おにぎりを頬張る。

なんておいしいんだ、おにぎり。

持ってきたおにぎりとバナナをぺろりとたいらげてまた寝る。

 

8時40分に来院して、帰りは13時半。

ほとんど寝ていたけど、疲れた。

最後…であろう移植

9月24日(金)、誕生日の前日が最後の胚の移植日だった。

移植までの期間は仕事がなんだかんだとバタついていて、妊活らしい妊活はできずじまい。

駆け込みで、移植3時間前に鍼灸院へ。

 

先生「お久しぶりですね。ということは、前回は残念な結果に?」

私 「はい、着床はしたんですが、hcgの値が低く、胎嚢が大きくなりませんでした。」

先生「今回は最後の胚の移植になるのかな?来週くらい?」

私 「いや、今日っす。」

先生「今日!?」

 

と、いつもゲリラ的な登場の仕方で驚かれた。

 

…ここまで書いて、今日まで放置していたこの日記。

結果的には、まったくもっての陰性でした。

 

これで6年前に冷凍した胚はなくなりました。

さて、どうしたものだろう。

 

1週間後の体調

稽留流産の自然排出から1週間が過ぎた。

まだ茶オリ程度の出血は続いているが、痛みもなく、体調も良好である。

クリニックで子宮収縮剤を処方されたが「お腹が痛くなるようなら飲まなくてよい」という先生の言葉を信じて1回で飲むのをやめた。

 

自転車通勤も再開し、ものすごく暑いけれど「バスとバスの乗り継ぎ、あげく徒歩」の通勤に比べたら断然いい。

 

しかも、自転車通勤をすると娘の保育園のお迎えまで若干時間の余裕ができる。

こないだは「彼女はキレイだった」のロケに使われていたシャレオツなカフェに寄り道してきた。

こんな時間の使い方もたまには良い。

 

今回は悲しい結果になってしまったが、SexyZoneの菊池風磨主演舞台のチケットが当たった。

この世に神はいる。

 

とりあえず、その日まで体調、体力を万全にしよう。

 

じらされ続けた結果

前の記事から約1ケ月経過した。

結果から言うと、稽留流産だった。

1週間の様子見を3回繰り返し、7月11日の診察で「心拍が見れないので稽留流産でしょう」と先生に告げられた。

「また1週間様子を見て、出血が見られなかったら手術を考えましょう」と言われたが、その4日後に腹痛と出血が始まり、自然排出した。

「胎嚢の大きさが小さいので、腹痛も出血もそんなにはひどくないでしょう」という先生のお告げ通り、我慢できる程度の生理痛と生理2日目くらいの出血で終わった。

人間の体とは不思議な(現金な)もので、胎嚢が出たら、胸の張りもつわりもすっかりなくなった。

出血が始まった木曜日から土曜日までは安静に過ごし、出血が治まった日曜日からは自転車を乗り回して娘と出かけた。